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日本では、雨上がりに見られる虹を七色の虹といっています。あの
淡い色の虹は、夢を感じさせ「夢の架け橋」などとも呼ばれています。
しかし、この虹の色数は、実は国や文化によって異なるということを
ご存じでしょうか。
ここには、それぞれの文化が、色をどのように捉えていたかが明確に
現れているのです。
日本では七色ですが、これも明治時代(明治8年)に教科書に書かれて
初めて定まりました。
それ以前は、文献に現れている虹の色数は、五色でした。それよりも
もっと古い時代は、多分二色だったと言われています。
沖縄などの古老が今でも虹は二色と言っていますが、その名残とされて
います。
色を区別する必要がなかった時代には、色に名前を与えることも
ありませんでした。そのため、青や緑は区別することなくアオと言われて
いました。そうしたことで、色はあっても、色名が少なかったということ
です。
虹の二色ですが、赤と黒と呼ばれていました。赤は「明るい色」、黒は
「暗い色」から転じたと言われています。赤から黄までが赤、緑から
紫までを黒ということです。
虹の色数で最も多いのは、アフリカのアル部族の八色。
日本と同じ七色は、オランダ、韓国など。
イギリスやアメリカは六色です。
フランスを始めドイツなど、最も多いのが五色です。
実は、いまだに二色としている民族はかなりあります。
ニュートンがスペクトルで七色と規定しましたが、それもキリスト教による
聖数の七が基本にあります。
人々に希望や夢を感じさせる虹ですが、これほど色数にばらつきがある
というのも面白いことです。
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色が環状になっているものを誰でも知っていると思いま
す。これを色相環と呼んでいます。
この色相環は、赤から始まって赤紫までの12色、あるい
は24色が環になっているものです。これを考えついたの
はゲーテ(1749 〜1832) だといわれています。色相環が
初めて登場したのが、彼が書いた『色彩論』(1810)なの
で、そういわれています。
ゲーテは、ニュートン(1643 〜1727) が発見した光が7
色に分光されスペクトルを形成することに着目し、帯状
のスペクトルに、そこに存在しない赤紫を加え、強引に
環状にしたものです。
不自然なのは、スペクトル状にない色を、持ってくるこ
とに何の科学的根拠がないことです。つまり、色相環そ
のものの科学的根拠がないのです。
また、対面にある色を補色にするために、かなり無理な
色の配置になっています。もともとスペクトルに存在し
ない色を1色加えているので、並び方に矛盾が生じてい
ます。スペクトル上の色の距離は完全に無視されていま
す。
また、赤と紫は生理な作用が全く逆です。波長も違うも
のを接近させてしまっては、誤解が生じます。
架空の色相環を基にしたマンセルシステム自身が成立し
ません。現実には色立体もありません。もちろん、その
色断面とやらもありません。同様にマンセルを基にした
pccsも根拠がありません。
マンセルシステムがいかにも、存在するかのごとく見せ
ていた色相環は、あいまいな色彩が許されていた時代の
ものです。マンセルが表示する色のみで、表現が行える
わけではありません。現場にはマンセルが扱っていない
蛍光色も色光もあるのです。
これまでのカラーシステムがなぜ、現場では通用しなか
ったのかがこれでお分かりいただける思います。色を科
学的な根拠を持つものにもう一度戻さなければ、現実に
使えるカラーシステムにはならないのですね。
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